謝罪会見

9時にボクシング・亀田興毅選手の謝罪記者会見が行われた。
が、肝心の興毅選手は定刻より5分ほど遅れてくるというハプニングが起きた。
そして、記者会見というよりは詰問のような会見になった。
その内容はけっして納得できるものではないと感じた。


だが、この会見を見て頭の中で考えていたことは・・・
もし自分が現在20歳だったらこういう風にちゃんと(でもない場面もあったが)話すことができただろうかということ。


私が37歳の時、抑うつ神経症と医者に診断され会社に行けなくなった時に、上司等に呼び出されて詰問を受けた。
今日の会見中、ずっとその頃の様子を思い出していた。
そのせいで、まるで自分が興毅選手になったような気持を味わっていた。


あと、今回の騒動で釈然としないことは、彼らの父親であり、トレーナーでもある史郎氏の態度である。
先日の大毅選手の謝罪会見でも、反省のかけらもないと見られてもしょうがない話し方であったし、今回も自分が先頭に立って会見に臨むべきなのに来なかった。
本当に謝ることが嫌いな人なのだと思う。


私が2番目に勤めた会社にも史郎氏のような人物がいた。
もっとも史郎氏のような迫力のある感じではなく、いつも口の中でぼそぼそと話す輩であったが。
この人間の特徴は、仕事でミスしても訳のわからない屁理屈を恫喝の口調で延々と述べて逃げる。
そのくせ、他人が犯したミスはこれまた延々と攻撃をする。
先に述べた私の抑うつ神経症もこの人間が原因で患ったといってもよい。
上の人間もこの人間に関わるのが嫌だから、結局私の仕事のやり方が悪いという方向に持って行った。
この時の反省点を述べると、上司等には「何があったのか正直に言え」とは言われたが、自分はこの人間が偏屈な態度を繰り返すとか言わなかった。
いや、言えなかったといった方が正しいかもしれない。
何故なら、言ってしまうとこの人間から報復を受ける可能性が大であったから。
そして、正直に言ったとしても、結果はまず間違いなく「お前が悪い」になっていただろうとは思う。
今、こんなことをグチグチと言っていてもしょうがないのだが。


最後に思ったことは、自分も興毅選手のように新たなスタートを切る必要性があるということ。


まとまりのない文ですみませんでした。